長岡花火旅②|一発ごとにフィナーレ級、夜空を染めた光と、帰路への全力疾走

2025年9月4日

■ 花火の幕が上がる瞬間

信濃川の川風がひんやりと頬に触れ、観覧席全体が暗闇に包まれる。右岸ベンチマス席に腰を下ろした私は、心臓の鼓動が自然と速まるのを感じていた。周囲のざわめきが一瞬すっと引き、夜の空気が張り詰めたとき、最初の一発が打ち上がった。轟音とともに夜空に大輪が広がり、その光が観客全員の顔を一斉に照らす。まるで舞台のスポットライトのように。

長岡の花火は、一発一発が他の大会のフィナーレに匹敵すると言われる。その言葉は誇張ではなかった。スターマインが次々と繰り出され、ひとつのプログラムが終わるごとに「これが締めか」と錯覚してしまうほどの迫力。観客からはため息のような声が漏れ、それすらも次の轟音にかき消されていった。

■ フェニックス、画角に収まらない奇跡

そしてクライマックスのひとつ、「フェニックス」が始まる。震災復興の祈りを込めて打ち上げられるこの花火は、全長2キロ以上にも及ぶスケール。カメラのファインダーを構えても、到底入りきらない。右を見ても左を見ても、光の帯が地平線を埋め尽くし、夜空を全て覆ってしまう。観客は皆、無言でその光景を目に焼き付けていた。

ベンチに座っていると、音が腹に直接響く。光がまぶしさを超えて痛みのように瞼を突き抜け、視界が一瞬真っ白になる。フェニックスはただの花火ではなく、観客を包み込む光の津波だと実感した。終わった瞬間、拍手や歓声が湧き上がるが、それすらも余韻の中では小さく聞こえる。

■ 終演直後の行動──早歩きで駐車場へ

花火大会が終わると、会場全体が一斉に動き出す。数万人規模の人々が同じ方向へ歩く光景は圧巻だが、同時に「動きが遅れれば帰りは数時間単位で変わる」ことを意味する。私たちはあらかじめ決めていた作戦どおり、フィナーレの余韻に浸りすぎずに立ち上がり、早歩きで駐車場へと向かった。

右岸の観覧席を出てからの道は、人の波がひしめくように続いていた。足を止めるとすぐに人にぶつかる。だからこそ、歩幅を一定に保ち、リズムを崩さないように意識する。すれ違う人の声や、屋台を畳む店主の声が耳に入るが、それらはどこか遠くで鳴っているかのよう。視界の先にはただ「駐車場」というゴールがあった。

駐車場に近づくにつれ、車の赤いテールランプが列を成して光っていた。予約制の駐車場のおかげで、自分の車がどこにあるのかすぐに分かる。エンジンをかけると、周囲の車も次々と動き始める。交通整理の係員の指示に従いながら出口へ向かうと、車列は思ったよりもスムーズに進んでいった。

■ 二つ隣のICへ──帰路の戦略

ただし、問題は高速道路の入口。大会終了直後は最寄りICが大混雑するのは目に見えていた。そこで私たちは最初から「二つ隣のIC」から乗る作戦を立てていた。多少遠回りにはなるが、その方が結果的に早いと予測していたのだ。

駐車場を出て市街地を抜けると、道は驚くほど空いていた。花火を観終えた人々の多くはまだ会場周辺に留まっているのだろう。私たちは静かな住宅街を通り抜け、信号をいくつも過ぎていく。外灯の明かりに浮かぶ人影はまばらで、あれだけの人出が本当にあったのかと疑うほどの静けさだった。

二つ隣のICに到着したのは23時前後。ゲートに近づくと、すでに車列が数十台並んでいたが、進みは遅くなかった。料金所の照明が夜の闇に鮮やかに浮かび上がり、その光が「ようやく帰れる」という合図のように思えた。ETCゲートを抜けた瞬間、ハンドルを握る手から余分な力が抜けた。長岡の花火を見届けた夜が、これで一区切りついたのだ。

■ 高速に乗れた安堵感

時計を見ると23時を回ったところだった。予定よりは遅いが、大渋滞を想定していた分「上出来」と思えた。アクセルを踏むと、夜の高速道路は驚くほど空いている。ヘッドライトの先に照らし出される道だけが白く浮かび、その奥にはただ黒い闇が広がっていた。花火の残像がまだ視界の端に残っていて、光と闇が交互に重なって見える。

助手席の仲間が「やっぱりすごかったな」とつぶやいた。その声に私はうなずく。フェニックスも三尺玉も、どれもが日常のスケールを超えていた。だが、帰路についたこの瞬間に感じる安堵感もまた、花火に劣らない強烈な記憶として刻まれていくのだろう。

■ まとめと実感

  • 花火そのもの:一発ごとが他大会のフィナーレ級。フェニックスは画角に収まらず、ただ「圧倒的」の一言。
  • 帰路の戦略:終了直後に早歩きで駐車場へ。予約駐車場の安心感は絶大。二つ隣のICから乗る判断は正解。
  • 時間感覚:花火が終わったのは21時過ぎ。駐車場を出て市街を抜け、23時頃に高速に乗れた。この2時間の動き方が成否を分ける。

長岡花火は「見る」だけでなく、「行き」と「帰り」にも物語がある。渋滞、事故、長時間のドライブ。そして、終わった瞬間の帰路への全力疾走。その全てを含めて「長岡花火」なのだと実感した。光が空を染め、闇に帰っていくまでのすべてが、この夏を確かに形作った。